立春 変わり始める予感

東京は本当に暖かくて春の陽気になってしまった様子。朝の天気予報で昼にはコートは要りませんと言っていたが2月でも、もうコートもいらないほど暖かいとは、今までもそんな感じだったのか、ちょっと思い出せない。

このまま暖かくなってしまう訳はないだろうが、そろそろ梅も咲いて気分もうきうきと春の予感。能天気でいいねと思われそうだが、最近の私はなんだか幸せだ。街の中を歩いていても何かを見ても楽しい気分になって、通り過ぎる人にもあなたも今日もいい1日を!と気持ちだけエールを送っている。

自分自身の劣等感というのは、自分が言われてきた言葉を受け止めて自分自身の価値を認められなくていつの間にかもってしまうのだろう。そして大人になるとそれを隠して、さもないように振舞っているのだが、ちょっと出そうになると悪いのは自分ではなくて、相手だと自分自身に言い聞かせているのだ。

すべてを認めると悪いのは相手ではなく、また自分に価値がないわけではないことにも気がつけば、怒る必要もない。

こういう日には、昔の泣いて閉じこもっていた自分の中にいる本当の気持ちを癒すことができるかもしれない。

 

素晴らしい言葉の数々なので、勝手に引用させていただきました

 

語彙が豊富で連想力が豊かな子どもたちは、どんな文章を読んでも、どんな会話をしても、同じ語彙や概念を持たない子どもたちとは相当異なる経験をすることになるのだ。

読書と貧困 - 障害者と健常者の接点を探る

 

恒吉は「地域で儲けたものは地域に還元する」という精神の持ち主で、60代初頭まで家を持たず会社で寝泊まりをしながら働いていたというのですから驚きです。

旧新津恒吉邸 (石油王の幻の迎賓館) - 日本のすばらしい建築物

 

 

「義雄には一流の教育を与えるが、余分な財産は残さない」とした上で、私財を投じて地元地域の為に新潟市公会堂建設に寄付をし、外国からの要人を迎え入れるための迎賓館(旧新津恒吉邸)の建設に力を注いだのです。

旧新津恒吉邸 (石油王の幻の迎賓館) - 日本のすばらしい建築物

 

 

観光バスのための駐車場は完成して、たくさん停められるようになったようだが、正面の景観、どうするつもりなんんだろうな。

空梅雨 - あれこれ雑記帳

 

 

隙間草

sukima_sou - 遠近 ochi-cochi

 

 

食べる行為は自分で直接感じられるある種特別なものですから、当たり障りのない解説や展示をみるよりよっぽど身になった気がします。

阿寒に行ったらアイヌ料理を食べよう。 - どさんこカメラ 

 

誰も本当に戦争になるなんて思っていない。

ウィズB - sprighascomeのブログ

 

 

うむ、、なかなか良い時間の使い方だと思われます^_

「なんでもさ、楽しんだもん勝ちだよね」とユキちゃんは言った。 - sprighascomeのブログ

 

 

閉じた世界だからこそ集中を生むのです。

僕たちはネットの文章など読んでいない - 障害者と健常者の接点を探る

 

 

東寺の中は広い.ここもまた神仏習合である.写真のように塔の西側に鳥居がある.八島神社である.空海がこの神と夢の中で出会い,そのことでこの地に伽藍を立てたと言われている.

年のはじめ - 青空学園だより

 

 

「アースデーに心がけること」に 「肉ではなく野菜を食べる」とあったので、 グリーンアスパラ、ほうれん草、しいたけ。 あ、今までも基本野菜だわね。 野菜は美味しいね。

朝粥始めました その後11 - ひぐらしPCに向かいて

 

 

いちばん好きなのはバターと塩で焼くやつね。

ばあちゃんからかぼちゃ団子のレシピを教わる。 - どさんこカメラ

 

8月6日に『ヒロシマモナムール』を見た

 

最近映画に関するブログを読んでいて、『ヒロシマモナムール』という映画を知った。TUTAYAで見つけて借りてきてみた。見ている間に、そういえば8月6日だったと気がついた。『ヒロシマモナムール』という映画は1959年公開で、フランスの反戦映画のロケで広島を訪れたフランス人の女優と日本人の建築家の1日の情事を描いたもの。その1日というのが8月6日だったのかどうかははっきりとわからなかったが、夏の一日。

最初のシーンの男と女の会話

「君は広島を何も見ちゃいない」

「私はすべてを見た。すべてを」

そして、博物館の展示、映画の映像が流される。ヒロシマと原爆は同じものだ。

映画の中では私が一昨年に見た、「ひろしま」(1953年)と広島、長崎の記録映画の映像も流れる。

 

広島の街は1958年の風景。まだ道路は舗装されていないが、ホテルやコーヒー、あるいはお酒を出すお店もフランス人が撮るからオシャレに見えるのだろうか。モダンな雰囲気に感じる。フランスの街と復興している広島の街が交互に映されるが様々な看板やネオンが光る広島の街も今から見れば外国の地のように美しく感じる。

 

朝から外出していてテレビで中継される広島の平和記念式典を見られなかった。広島を訪れたことはない。『ヒロシマモナムール』を見ていた私も広島を何も見ていないと言われているのだ。

 

無意識の考えを考える

意識は、無意識の考えが表面に上がってくることを阻止しようとしている
もし、そのまま無意識が表にでてくると、認知症のような症状になるのかも

出来ないは出来ないのではなく、本当はしたくない
怒りも不満も不安もストレートに出して他人にぶつける
身体の痛みでそれを隠そうとしている人達の意識は無意識の怒りを隠すためのものだという

どんな怒りがあるのだろうか

無意識のなかに隠されているものを、探しているのに見つからない(意識の側)
一向に見つけてくれない(無意識の側)

全体(宇宙)に、対する個の共感と反感(シュタイナーの言う)
一つであり、別々であることの意味

自分が愛されていること、必要とされていること、大切にされていること、家族、社会、地球という全ての世界の中で

その中で不安や怒りと思っていること
を認める

答えはちょっとづつ色んな所に隠されている
代わり番こに目の前に現れるけど、気付かずに忘れてしまうことも

共感も反感もそれらに意識をつなげることで
つながりを意識する

ない、のではなく、気がついていないだけでそこに無意識がある

気づくだけで痛みも消えるものだという

 

心はなぜ腰痛を選ぶのか―サーノ博士の心身症治療プログラム

腰痛は心の叫びである

サーノ博士のヒーリング・バックペイン―腰痛・肩こりの原因と治療

本を読んで考えてる。

朝4時に散歩

 

道ですれ違った、幼い女の子と母親。女の子が抱っこを求めて母親が抱き上げる。抱き上げられた子供が母親の肩に顔を埋めて左右に振ると安心した顔をして片側を乗せて目を開ける。ちょうど通り過ぎて振り返った私と目があった。

お母さんにその顔を写真で撮って見せてあげたいと思った。安心して母親に身を任せている子の幸せそうな顔。

いや、見せてあげたいのはあの頃の自分になのだろう。前を見ている母親はその子の顔を見ることはできない。そうしてその瞬間を気付かずに過ぎてしまうのだ。どれくらいそうした瞬間に気がつかないまま来てしまったのかと、少しの後悔。

他人のそうした瞬間には気がつくのに、なぜか自分の時には気がつかない。いつも追われているような感覚で過ぎてしまった。

 

昨日のこと、明け方の3時半過ぎ目が覚めて一度トイレまで行った後、もう外が明るくなっていて、布団に戻ってから寝付けなかったので思い切って起きて外に散歩に行ってきた。

多摩川河川敷からの東と西の景色。

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歩いていても風は強くないのに高いところは風が強く吹いている

 

 

今頃プルトニウムは海の上

先月、ツタヤで『太陽を盗んだ男』(1979)を借りてきて見た。この映画のことを知ったのは最近でそれまで全く知らなかった。ツタヤでは横の棚に年代別に代表作というのかいくつかピックアップして並べてあり、1970年代のところにあった。

沢田研二が中学校の理科教師を演じていて、東海村原子力発電所からプルトニウムを盗み出して原爆を作る。そして国にとりあえず見ていたプロ野球の放送延長を要求する。次にザ・ローリング・ストーンズの日本公演を要求する。それがちょうどDVDを見た次の日に、ニュースでキューバザ・ローリング・ストーンズが初の公演を行ったといっていた。1979年当時の日本でも夢のような実現不可能な話だったのが、キューバでは今年それが実現したという。

そして映画の本題の東海村プルトニウムも同じ頃、日本から米国へ返還されるための輸送船が東海港を出港したニュースがあった。

なんだか昔の映画なのに見ている今のニュースと妙にシンクロしている。

さらに、最近は北朝鮮プルトニウムを抽出しているらしいとかニュースで伝えていて、このタイミングで偶然が重なることは恐ろしい。

輸送船でアメリカへ送られた研究用プルトニウムは331キロ、まだ日本が保有しているプルトニウムの量は47トン超だという。一体どうすればいいのか、悠長にそのうち使うなどと言っている場合だろうか。

先々週の金曜日、義母が左足の脛が手のひら大の大きさに少し腫れていて触ると痛いと言い出した。次の日は右足の付け根が痛いと言い、さらに次の日は右のお尻の辺りが歩くと痛いと言う。

月曜日に整形外科に行った。レントゲンを腰から下の両足を撮り、血液検査をしてもらったが、骨には異常はなく、検査の値もそれほど悪くないということだった。ただ腫れているからお風呂はだめということで、湿布や痛み止めの薬などは本人が欲しいと言っていると伝えたが、医者は出してはくれなかった。湿布もあまり良くないのか、熱を持っている間はアイスノンのようなものを当てておくのが良いということだった。もう90なので骨も弱くなってきているから、骨を強くする注射を週一度打つことになった。整形外科はとても混んでいて、毎回3時間くらい診察まで待ち時間があるが、先生は検査して結果を見るだけで、痛いのが治るまでは特に何の治療があるわけでもない。

近所の整骨院で電気を当ててもらったら、少し違うかと思ってそちらにも通ったが、テーピングをしてくれるのだが、そのテープにかぶれて本人は痛いより痒いでお蔭で痛さをあまり訴えなくなったが、それはそれで赤くなってしまった。

私のつけたりつけなかったりの10年日記を見ていたら、2014年、2013年も全く同じ頃に急に左足が痛くなったり、膝が痛くてむくみが出たりしていた。2013年は痛くなった日にちまで一緒だった。

 

毎回2、3ヶ月医者に通うも良くならず、近くのデイサービスのリハビリが一番効果があり、むくみや痛みはそちらに通って良くなった。

今回も整形外科の先生もデイサービスはいつも通りで良いということなので、結局時間をかけて改善していくのを待つしかないのかもしれない。本人は痛いからすぐなんとかしてくれというのだが、どうしようもない。人の痛みがわからないと責められてつらい。

 

ただ、ほとんど同じ時期に同じ左足が痛くなるのもただの偶然で済ませるには3回目になりちょっと気になる。