私の悲しみは私のもの
秦基博さんのCDを聴いている。声とメロディーにとても惹かれる。「ひまわりの約束」という曲があるが、気がつくと自分でもつい口ずさんで歌っている。
ところが、その詞がどうしても気になる。
どうして、君が泣くの まだ僕も泣いていないのに
自分より 悲しむから つらいのがどっちかわからなくなるよ
と始まるとああ私だったらこんな女性は嫌いだけど、男性はこういう女性が好きなのかとそこでいつも同じことばかり考える。
悲しみはその人のもので共感したからと、人の悲しみをまるで自分のことと受け止めて悲しむことにどうしても抵抗がある。どうしてその人の悲しみをそっとしてその人ものもにしておいてくれないのだろうかと。
共感したからと本当に他人が悲しめるものだろうか。辛さが本当にわかるものだろうか。あくまでも想像で分かったつもりになっているだけで、他人の自己満足ではないのか。
なにより隣で自分より悲しまれたら、大切な悲しみがどこかへ行ってしまう気がする。そんな人の大事なものを奪っておいて「私も悲しくなっちゃった」と言われても・・