一杯のコーヒーから
ニュースでは強行採決がテレビで取り上げられて以来、安倍内閣の支持率が下がったと言っている。どこのメディアでもそれぞれ世論調査をしてはここぞと発表している。
そして、白紙になった新国立競技場のニュースは熱心に取り上げるけれど、肝心の安保法制の内容とかはちっとも解説していない。だからこそ、ニュースを見ても肝心なことを言っていないという思いが強い。あの強行採決の日に国会中継をしなかったNHKがいくらニュースで支持率がさがったと言ってみても、なんだかしらじらしくてしょうがない。
それでも、そのニュースを見ている人の大半はあまりそんなことは気にしていないように思える。だから支持率がさがったほどに、国民の見方がそんなに変わったとも思えないのだ。
電車に乗ると半分以上の人がいまやスマホを手にして、画面を見ている。その多くの人が見ているものは一体なんだろうか。私の両隣の人は二人ともゲームだった。年齢はそんなに若い人ではない。
つい先日までスマホを敬遠していた年代の人もスマホを持つようになったが、友達に教えてもらうのはLINEとゲームアプリが多いかもしれない。知り合いにLINEやってると聞かれると、私はやっていないと答える。ついでにやる気もないと。だから今や私の周りの人もみんなスマホを持つようになったけれど、連絡は今だにメールのみだ。
電車の中で結構年配の男女でもゲームをやっているのを見ると、昔子供が幼稚園の頃にゲームボーイが流行って、友達の家に遊びに行ったのに、集まった子供たちがうち以外全員ゲームボーイを持っていて並んで遊んでいたのを思い出す。(一人一人が自分のゲームをしているだけ)
この前まで武蔵境にある喫茶店でブルーマウンテンの豆が欠品していて飲めなかったけど、昨日行ったら、飲めたと父が言った。喫茶店では豆の値段が上がって、小売する袋が小さくなっていた。
そんな話をすると、大抵の人はでもセブンイレブンのコーヒーのが美味しいよという。
では、なぜそんな美味しいコーヒーが安くてみんなが飲めるほど大量につくれるのか。そこのことを考えて欲しいのだけど、みんなは安くて美味しいことが大事なのだ。だから安倍さんを支持している人とそんなに変わらないと思う。
コーヒーの値段は作っている産地の人たちに関係なくニューヨークの相場で決まってしまい、実際の労働者には還元されていないものがほとんどで、労働環境も子供達も働いている現実がある。スターバックスやセブンイレブンではいつでも美味しいコーヒーが飲める。それは当たり前のことなのか。
支持率の低下から始まるものは何なのか。何が終わるのか。
見えないものが見えてくる。