別に意味もない偶然でも
昔、20年くらいも前になるか、デニーズで友人数人でお茶を飲んでいた時。私のところにコーヒーを持ってきた店員が私に向かってコーヒーをこぼして服にかけられてしまったことがある。
それから、数年経って、同じ店でやはり同じようにコーヒーを頼んでいて、ふとその時のことを思い出した。もちろん近くの店なのでママ友などの集まりで2、3ヶ月に1回位は行くのだが、そのたびに思い出すというわけでわない。それにそんなことが続くわけもなく、(何人かいるのによりによって私の服にだけかかるという状況が)普段は忘れているのにその日に限って思い出していた。そして運ばれてくるコーヒーを見ている時だった。
なぜかよりによってつまづいたように私に向かって再びコーヒーがひっくり返って洋服にかかったのである。もちろん店員さんは同じ人ではなく、その店でそういう失敗が特別多いなどということもないだろうが、なぜか思い出した時にスローモーションのようにコーヒーがひっくり返ったことに驚いた。
クリーニング代を弁償してくれたような記憶もあるが、まあ昔の記憶である。
そんな風に、例えば何年も普段は合わない同じ町に住んでいる人で、偶然道で出会うことがあるが、何年かに一度ぐらいだが、その日に限ってその人のことを思い出すと、すぐに向こうから来て出会う時がある。
こんなことを思い出したのは赤瀬川源平の偶然日記「世の中は偶然に満ちている」という本を読んだからなのだが、この本も買ったのは昨年末だったのだが、数冊買ってそのあと年末に掃除した時に他の未読の本とともに棚に積まれて忘れていた。
今年になってから、別の本屋でこの本を見つけて本を手に取り少し読んだ時にも、自分がすでに買った本だということは忘れて、面白そうだと思ったがその時は買わずに棚に戻した。しかし買わなかった時の方が記憶に残っているのが不思議で、作者の名前とタイトルが記憶に残っていた。
そして、昨日、家で積まれてカバーのかかったままの本を手にしてこの本を見つけた。つまりこの本は本棚から3回も私を呼んでいたことになる。
道を歩いている時に目に入るものにしても、偶然その時に見たもの、偶然通った場所、人、全てあとから考えるとその偶然が次の出来事につながっていることがある。
大抵見逃してしまうけど、ちょっとノートに書き留めておくと、あとから繋がってくるのがわかる。それがどこへ繋がっていくのか、わかるのは30年くらいかかるのかもしれないが、そういう小さな偶然を私も気に留めたいと思う。