タイミング

今から7、8年前になる。その更に以前に白州正子さんの『西国巡礼』を読んで「那智瀧図」を一度見たいと思っていた私はちょうど時間ができたというだけで電車に乗って見に行ったことがある。根津美術館蔵と本に載っていたから行けば見られるのだろうと思っていたのだ。

電車に乗ってから行き方だけど携帯で調べて着いてみると、ちょうど「国宝那智瀧図と自然の造形」という展覧会の開催中で私はじっくりとその「那智瀧図」を見ることが出来た。そして帰るときに、美術館が何年か改装の為に休館していたことや、国宝は美術館の所蔵でも限られた時しか展示されないことを知った。

いつでも見られるものと思っていたのは、自分が知らなかっただけで、たまたま行って見られたというのはものすごく幸運だったと気がついた。

その後、美術館などに行く機会も増えてきたのだが、例えばある時、ふと、高校生の時のラジオ講座の本の最後のページのコラムに載っていた絵のことを思い出してネットで検索したら、ちょうど展覧会がやっていたりという偶然が2回ほどあった。

展覧会の開催期間は限られているし、その期間が過ぎるともう何年も見られないということもあるので、そのタイミングの良さは、何かに導かれたとしか思えない。

最近では展覧会の情報などは新聞やネットから先に見ていることが多くなった。

 

さて、先日ははてなのブログを読んでいて、気になった映画があったが、遠い場所の方だったので、自分の住んでいる場所から見に行かれるわけでもないと思っていた。それから次の日とその次の日と別の2人の方が、その映画についてブログで書いているのを読んだ時、ふとその映画をネットで検索してみた。

すると、自分の住んでいる隣の市で前日にその映画を上映していたことがわかった。

すごくショックだった。最初、あるいは2人目の人のブログを読んだ時点ですぐ調べておけば、間に合ったのに、ちょうど前の日は珍しく時間があったのに・・

その映画は特別なドキュメンタリーなので上映日時や場所も限られていて、次に見に行ける機会があるのかどうか、今の所わからない。

しかし、見られる、グッドタイミング以外にも見られなかったこのタイミングの意味についても考えている。それはただ見てしまって終わりにならないためのタイミングだったような気がしている。