今頃プルトニウムは海の上

先月、ツタヤで『太陽を盗んだ男』(1979)を借りてきて見た。この映画のことを知ったのは最近でそれまで全く知らなかった。ツタヤでは横の棚に年代別に代表作というのかいくつかピックアップして並べてあり、1970年代のところにあった。

沢田研二が中学校の理科教師を演じていて、東海村原子力発電所からプルトニウムを盗み出して原爆を作る。そして国にとりあえず見ていたプロ野球の放送延長を要求する。次にザ・ローリング・ストーンズの日本公演を要求する。それがちょうどDVDを見た次の日に、ニュースでキューバザ・ローリング・ストーンズが初の公演を行ったといっていた。1979年当時の日本でも夢のような実現不可能な話だったのが、キューバでは今年それが実現したという。

そして映画の本題の東海村プルトニウムも同じ頃、日本から米国へ返還されるための輸送船が東海港を出港したニュースがあった。

なんだか昔の映画なのに見ている今のニュースと妙にシンクロしている。

さらに、最近は北朝鮮プルトニウムを抽出しているらしいとかニュースで伝えていて、このタイミングで偶然が重なることは恐ろしい。

輸送船でアメリカへ送られた研究用プルトニウムは331キロ、まだ日本が保有しているプルトニウムの量は47トン超だという。一体どうすればいいのか、悠長にそのうち使うなどと言っている場合だろうか。

先々週の金曜日、義母が左足の脛が手のひら大の大きさに少し腫れていて触ると痛いと言い出した。次の日は右足の付け根が痛いと言い、さらに次の日は右のお尻の辺りが歩くと痛いと言う。

月曜日に整形外科に行った。レントゲンを腰から下の両足を撮り、血液検査をしてもらったが、骨には異常はなく、検査の値もそれほど悪くないということだった。ただ腫れているからお風呂はだめということで、湿布や痛み止めの薬などは本人が欲しいと言っていると伝えたが、医者は出してはくれなかった。湿布もあまり良くないのか、熱を持っている間はアイスノンのようなものを当てておくのが良いということだった。もう90なので骨も弱くなってきているから、骨を強くする注射を週一度打つことになった。整形外科はとても混んでいて、毎回3時間くらい診察まで待ち時間があるが、先生は検査して結果を見るだけで、痛いのが治るまでは特に何の治療があるわけでもない。

近所の整骨院で電気を当ててもらったら、少し違うかと思ってそちらにも通ったが、テーピングをしてくれるのだが、そのテープにかぶれて本人は痛いより痒いでお蔭で痛さをあまり訴えなくなったが、それはそれで赤くなってしまった。

私のつけたりつけなかったりの10年日記を見ていたら、2014年、2013年も全く同じ頃に急に左足が痛くなったり、膝が痛くてむくみが出たりしていた。2013年は痛くなった日にちまで一緒だった。

 

毎回2、3ヶ月医者に通うも良くならず、近くのデイサービスのリハビリが一番効果があり、むくみや痛みはそちらに通って良くなった。

今回も整形外科の先生もデイサービスはいつも通りで良いということなので、結局時間をかけて改善していくのを待つしかないのかもしれない。本人は痛いからすぐなんとかしてくれというのだが、どうしようもない。人の痛みがわからないと責められてつらい。

 

ただ、ほとんど同じ時期に同じ左足が痛くなるのもただの偶然で済ませるには3回目になりちょっと気になる。

近所でドラマの撮影があった

昨日、家の近くで福山雅治が撮影しているとメールが来て、駅の方へ歩いて行くと人だかりがしていた。メールをくれた知人がさらにそれを教えてくれた人と、さらに通りかかった知り合いと3人で立っていた。横の路地で撮影しているらしく、通りの車も歩道を歩く人も数分間止められている。通行止めが終わると今度は「立ち止まらないでください」と歩かされる。横を見ようと思ったが、止まれないのでそのまま通り過ぎる。

スタッフかエキストラの俳優かたくさん人がいるのでどれが福山雅治か見つけられなかった。知人が「パーカーを着ていて、背が高いからすぐわかる」と教えてくれたが、誘導している女性に「もっと先の方まで進んでください」となんども促されて、見えなかった。

再び道路の反対側に渡って見るが、本人はもう建物の中に入っているようだった。しばらくすると、また撮影をするようで、再び車や歩行者がストップさせられる。立っているとカメラの邪魔になるというので、もっと先まで行ってくださいと言われ、コンビニの陰からまだ未練がましく覗いていた。

また通って良くなったので、歩道を通ろうとすると、何度も行き来しているおばさんたちだと目をつけられたらしく、「今度通ったら、2度と戻って来ないでください。このままずっとまっすぐ行って解散してください」と言われた。

通る瞬間パーカー姿の福山雅治がちらりと見えた、多分。

結局再び戻る勇気はなく、それぞれ仕事や買い物でみんなバラバラになり、私も駅前のスーパーで買い物して10分くらいして帰ってくると、どうやらその日の撮影はもう終わって片付けになっていたようだった。

そんなに邪魔にするのだったら、なぜわざわざ駅前の人通りの多いところで撮影するのだろう。普通の路地がそんなにいいセットになっているのかわからない。

 

知人は先週もまた別の近くの道で、撮影していて、亀梨君を見たという。数ヶ月前はやはり駅前あたりで松坂桃李君も見たそうで、なんだか流行っているみたいだ。

 

夜、夫が帰ってからおばさんの集団だからすっかり邪魔者扱いされたと話すと「おばさんだったら、ずんずん入って行って握手してください、って言えばよかったのに」って心は乙女なんだから。

安心してください 世界は脆くてすぐ壊れます

朝方、夢でおばあちゃんのデイサービスに行ったら、そこで、脛を黄色の50センチくらいの蛇に噛みつかれた。職員の人に、2時間くらいかけて、噛みついたの蛇を足から離してもらったが、蛇は足の皮膚を雑巾のように剥がしていた。その皮膚を折りたたんで膝の下にガムテープのようなもので止めてもらった。

一昨日は、誰かに襲われそうになり、叫ばなければ殺されると思って、叫ぼうとしたが、声が出ない。そこで意識は半分夢だと気がついてここで自分の意思の力で声を出そうとした。「う、う、うおー」と自分の声に自分で起きると同時に「うるさい!」と隣で寝ていた夫も起きていた。

 

布団は暖かくてぐっすり眠れるが、左の腕が痛くて寝返りを打てない。左を下にしようとするととても痛い。

 

デパートの喫茶室でケーキセットを食べながら、図書館で借りてきた『すべての戦争は自衛意識から始まる』という本を読む。どこか世界で街が廃墟になっているとしても、この場所は離れていて関係ない。ケーキを一口食べると誰でも幸せな気持ちになる。

何も気がつかないふりをして。

数字色々

数字が並ぶとなんとかく意味がありそうな気がしてしまう。もちろん同じ数字が並ぶのと、違う数字が並ぶのと全て確率は同じだろう。たとえ777でも259でも。

今日は2月22日。5年前にはニュージーランド地震があった。実は新聞を読むまで日にちは忘れていた。先日の2月16日のほうが、2016 216で意味ありげな数字だったがマイナス金利政策開始ぐらいだった。

 

自動車に乗っていると、他の車のナンバーが気になる。最近では並んだナンバーもお金で買えるので却って多くなったようだが、前に都内の3車線の広い道路を走っていた時に、隣の車のナンバーが555だと思ったら、その後ろの車も555で、更に奥の車線を走る車も555だった時があった。これは「555」の愛好会とかの仲間同士なのか、とも思ったが、先の信号でバラバラになってしまった。一台だけなら、最近多いねというだけだが、3台も一緒に見るのはかなり珍しいのではないだろうか。

だからと言って、それ以上には意味はなかったが。

 

舅は昔、夢で朝方、蜂の巣を見たといい、ちょうど来た娘に言って馬券を買ってこさせたそうだ。8番を3万円買ってこい、と。家から場外馬券場が目の前にあったのだ。義姉は取り敢えず行って、買い方を聞いて買って来たが、やはりためらいがあって1万円だけしか買わなかったと言っていた。

しかし、それが大当たりだったという。ちょうど有名なレースの日でもあったらしい。果たして何倍になったのか、後からあの時言う通りにしていればと、義姉は悔やんでいた。

しかし、蜂の巣を見たら8でそれが馬券って、普段買ったことのない人が思いつくことはないだろうが、時に偶然か予知なのか不思議なことは信じる人には起こるものらしい。

 

探した店は見つからない

昨日はお昼近くに三鷹に行った。その前に図書館でかりて読んでいた本で三鷹の駅前に玄米ご飯を食べさせてくれる食堂があるのを知って、ネットで見ると駅のすぐ前のようなので、寄ってから行こうと思った。しかし、駅に着いてみるとそれらしいお店は見つからず、その2、3日前に調べたお店の名前も覚えていないし、スマホで見た時に保存するなり、ブックマークするなりしなかったので、もう調べることもできなかった。

15分くらい駅の周りをウロウロと歩いてみたが、その読んだ本は2004年のものだったが、駅前の広い地域は今開発中で囲われていたり、そのほかのお店だってもう変わってしまっている可能性もあるので諦めて、ほかの路地で、魚を食べさせるイタリアンの看板を見つけたのでそこに入った。

日替わりのランチは京野菜と鮮魚のスパゲティとマグロの頬のステーキだった。マグロの頬のステーキの柔らかくてこれがマグロなのかと思うような食感と味でとても美味しかった。

用事が終わって立川に帰ると駅前のデパートでは金沢展をやっていた。途中の階で買うものがあったのだが、看板につられて催し物場に入って行った。そして売り場を3分の2ぐらい回ったところでバッタリと知り合いにあった。

そしてもっと驚いたのはその一瞬前にもう一人の別の知り合いもそこにいて2人が出会ったところだったのだ。

3人は子供が同級生の母親同士なので、今でも一年に一度くらい、お茶を飲んだりすることもあるが、一人は子供と買い物に来て、もう一人は仕事の休み時間でたまたまそこに来たのだった。

すぐに別れ別れになったが、催し会場の歩くルートがちょっと違ってもすれ違いで出会えなかっただろうに、こういう時、いつもこういうのはどれくらいの確率で出会えるものかと考えてしまう。数字だけだったら、宝くじより低そうなきがするが、宝くじよりはバッタリ出会うという機会は多い気がする。

 

でもスマホでお互いの位置情報なんかがわかるようになったら、それはそれで嫌だと思う。近づいてきたピッピっなんてお知らせされたら、偶然なんてなくなってしまうもの。

タイミング

今から7、8年前になる。その更に以前に白州正子さんの『西国巡礼』を読んで「那智瀧図」を一度見たいと思っていた私はちょうど時間ができたというだけで電車に乗って見に行ったことがある。根津美術館蔵と本に載っていたから行けば見られるのだろうと思っていたのだ。

電車に乗ってから行き方だけど携帯で調べて着いてみると、ちょうど「国宝那智瀧図と自然の造形」という展覧会の開催中で私はじっくりとその「那智瀧図」を見ることが出来た。そして帰るときに、美術館が何年か改装の為に休館していたことや、国宝は美術館の所蔵でも限られた時しか展示されないことを知った。

いつでも見られるものと思っていたのは、自分が知らなかっただけで、たまたま行って見られたというのはものすごく幸運だったと気がついた。

その後、美術館などに行く機会も増えてきたのだが、例えばある時、ふと、高校生の時のラジオ講座の本の最後のページのコラムに載っていた絵のことを思い出してネットで検索したら、ちょうど展覧会がやっていたりという偶然が2回ほどあった。

展覧会の開催期間は限られているし、その期間が過ぎるともう何年も見られないということもあるので、そのタイミングの良さは、何かに導かれたとしか思えない。

最近では展覧会の情報などは新聞やネットから先に見ていることが多くなった。

 

さて、先日ははてなのブログを読んでいて、気になった映画があったが、遠い場所の方だったので、自分の住んでいる場所から見に行かれるわけでもないと思っていた。それから次の日とその次の日と別の2人の方が、その映画についてブログで書いているのを読んだ時、ふとその映画をネットで検索してみた。

すると、自分の住んでいる隣の市で前日にその映画を上映していたことがわかった。

すごくショックだった。最初、あるいは2人目の人のブログを読んだ時点ですぐ調べておけば、間に合ったのに、ちょうど前の日は珍しく時間があったのに・・

その映画は特別なドキュメンタリーなので上映日時や場所も限られていて、次に見に行ける機会があるのかどうか、今の所わからない。

しかし、見られる、グッドタイミング以外にも見られなかったこのタイミングの意味についても考えている。それはただ見てしまって終わりにならないためのタイミングだったような気がしている。