花の名前

週に一度位通る道沿いの家の庭で黄色い小さめのひまわりのうような花が一面に咲いている。その花の名前を先週は思い出せたのに、今日は思い出せない。

帰ってから思い出した名前はルドベキア。画像を見るとあっていたが、名前にいまひとつ確信を持てない。もうその名前が本当ではないような気がしてしまうのだ。

街路樹の木も毎週見ていてもその名前が急にでてこなくなる。

想像している時には出てこなくても、実物の前を通るとまたでてきたりするのだが、そういうどうも自分の記憶がだんだんなくなっていくような気配がある。

その都度、なんとか思い出そうとするのだが、先週覚えていて、なんで今日はでてこないのかと不安になる。

 

各自治体でプレミアム付き商品券が好評らしく、今年から私の住んでいるところでも始まって、申し込みハガキのついたチラシが郵便受けに入っていた。

お店により、使える券の種類が2種類あるが、1冊1万円で1万2千円分の商品券のものと、1万3千円分のものとあり、一人2冊づつまで、だれでも申し込めるとあった。

しかし、プレミアムの財源が補助金からだというので、買うお金のある人しか買えない時点で不公平な気もする。応募の倍率が高いと抽選になるというのも、当たる当たらないで運不運がある。

それで一時的に消費が増えたといっても大型店で消費されるのがほとんどだろう。

家の近くの商店街は私が来た頃は一通り買い物ができたけれど、今はほとんどやめてしまいテナントとして入るのは飲食店と美容室とマッサージ店が並んでいる。

個人商店でプレミアム商品券を使いたくても、お店自体がなくなってしまっているのだ。

 

しかしそんなプレミアムの金額も新国立競技場の予算オーバー額に比べたら、まだ小さい。どれだけの借金を負っても、ぜんぜん気にもせず、節約するな、使え使えと言っている。理解できない。

 

私の悲しみは私のもの

秦基博さんのCDを聴いている。声とメロディーにとても惹かれる。「ひまわりの約束」という曲があるが、気がつくと自分でもつい口ずさんで歌っている。

ところが、その詞がどうしても気になる。

どうして、君が泣くの まだ僕も泣いていないのに

自分より 悲しむから つらいのがどっちかわからなくなるよ

 と始まるとああ私だったらこんな女性は嫌いだけど、男性はこういう女性が好きなのかとそこでいつも同じことばかり考える。

悲しみはその人のもので共感したからと、人の悲しみをまるで自分のことと受け止めて悲しむことにどうしても抵抗がある。どうしてその人の悲しみをそっとしてその人ものもにしておいてくれないのだろうかと。

共感したからと本当に他人が悲しめるものだろうか。辛さが本当にわかるものだろうか。あくまでも想像で分かったつもりになっているだけで、他人の自己満足ではないのか。

 

なにより隣で自分より悲しまれたら、大切な悲しみがどこかへ行ってしまう気がする。そんな人の大事なものを奪っておいて「私も悲しくなっちゃった」と言われても・・

 

ニュースから色々

朝のNHKのニュースで悲惨な交通事故のニュースで、焼け焦げた車や現場の映像の後ろで暗い音楽が小さく流れていた。ニュースでわからないくらいにBGMを流すのは不愉快に感じる。何故ならニュースの言葉からくる以上に感情が強く動かされることになるからだ。加害者は当然より重い罪に問われるだろう。

 

別のニュースでは米国防長官と中国軍制服組トップがワシントン近郊の国防総省で会談をしたニュースがあった。会談のテーブルの後ろの壁にかかっていたのが波の荒い海の上をいく帆船の絵だった。南シナ海での海洋進出を巡る対立の中での会談で、非常に象徴的でこれはアメリカは何を暗示しているのだろうか。これから嵐になるのか、穏やかな海の姿になるのか、どっちともわからない。

以前に観たナルニアだったか何かの映画で冒頭にこの絵に似たものがそこから波が荒くなり本当の海水が部屋に溢れだすところから冒険が始まっていったのがあったのを思い出す。

 

東京新聞で「即席」もう一つのルーツ 長寿面という記事があった。

日清食品の「チキンラーメン」の発売の少し前に大阪市の麺メーカーが「長寿麺」(これいま'ちょう'と入力しただけで変換予測が出てきたけど、どういう訳?)という即席麺を売り出していたが、後に日清食品がこの会社から特許製法を買い取っていたという。

2つの麺は味付の方法が違っていたそうだが、その「長寿麺」を食べていた人の証言を得たという話で、61年に南極の昭和基地で食べた長寿麺がさっぱりしていておいしかったのを覚えているという話だった。

50年前の食べたものの記憶に思わず感心する。食べた味と共に、その状況、景色もみんな一緒に記憶されているのだろう。さりとて美味しいという記憶がなければ1日3度の食事を全て覚えている訳でもないだろう。

 

そういえば義母も夕方に義姉がきたのを夜に忘れてしまって「え?来たっけ?」などというのにお昼に義妹とカレーを食べに行ったのは「あ、カレー食べたね ○子と」と覚えている。

 

しかし、毎日美味しいものを食べていたら、体重が増える一方なのが悩ましいところ。

 

残すものは何か

朝ドラを見ていて思うのだが、現在の主役のおばあちゃんの一代記をドラマにしたらいいんじゃないかと思う。娘を捨てて一人フランスへ渡り、有名パティシエになりフランス人と結婚した女性の苦悩と苦労して海外で成功して、その後・・のが興味ある。

おととい、美容院に行った時、鏡の前に週刊誌が置かれていて、私は気持ち良くうとうととしかかっていたが、表紙に書かれた文字のみを見ていた。幾つかの記事のタイトルで、「緊急提言 子供にスマホを持たせるな」というのと数行後は「高齢化・・子供は公園から出て行け」と書かれていた。

女性誌だから子供の話も読者にとって関係あるからだろうが、子供の身になるとどうやってこれからの世の中を生きていけばいいのか考えてしまう。結局子供たちだけをどこかに預けて集団で育てればいいのか、と思っていたら、今朝の朝刊では介護の高齢者を北海道や九州の介護の余裕のあるところへ10万人移住させるという提言が発表とか・・

自分も20年後には移住させられているかもしれない・・

なんでもかんでも世界遺産にしたいのか、世界遺産になったら廃墟の保存に莫大なお金をかけるとか、なんのために誰が何をしたいのだろう。一部観光で収入を目指す人には儲かる話なのだろうか。

玉川上水世界遺産にというが、上水としては途中から下水処理した水に変わっているのだし、世界遺産にするのではなく、きちんと緑地の保全の問題として考えればいいのではないか。世界遺産にでもしないと何でもかんでも破壊してしまうというのだろうか。

外国では紛争で世界遺産の破壊のニュースもあるが、戦争がなくても世界遺産と誰かに言ってもらわないと破壊するのをやめられないのだろうか。

テレビのなんでも鑑定団でフランク・ロイド・ライトの椅子が出されて、200万円の値段が付いていた。あの帝国ホテルで使われていたものを、常泊客だった妻の父親が壊す前にと一つもらったものだという。毎日湯上りに座っていた椅子だというが、綺麗な状態なので、問題ないという。壊される前のホテルの写真では同じ椅子がフロアーに数え切れないほどあった。ホテルの玄関部分の建物は明治村に保存されているが、ほとんどの調度品は一緒に廃棄されたのだろうか。

あまり反省する様子もなく、オークラも壊さないでという声も虚しく壊されてしまうのだろう。

なのに廃墟を保全する?考えるとますます気が滅入る。

 

 

今なら無料の色々

出かけた日曜日の夕方、帰ってきてから夜ごはんに近所にある東秀でチャーハンを3つ買ってきた。買ってきたのは夫。お店で「大盛りにしますか?」と聞かれて、一度は「いいです」と断ったが、直ぐに「今なら無料です」と言われ、「じゃあ一つ、お願いします」と言った。その入れ物が普通のお祭りの屋台の焼きそばなんかの入っているパッケージの2倍くらいある大きさだった。大食い流行りなのかもしれないが、うちの家族はかなり少食なのだ。

食べながら、チャーハン3つを2つにしてもらって、大盛りにしてもらえばよかったんだ、とつぶやいてい

でも多分そんなことをいえる度胸はないと思います。

Kindleで本をダウンロードして読んでいるが、最近検索した本でプライム会員に登録すると無料で読めるとあった。毎月1冊かなりの種類の中から選べるらしい。

しかし、見たら会員の年会費がかかる。ところが、1ヶ月お試しは無料でそれに登録するだけでも1冊無料で読めるようだった

多分一ヶ月たって、お試しを止めるのを忘れて有料になってしまうだろうしと遠慮しておいた。


その道を選んだのは誰

日曜日、家族で車で出かけた。

ナビで目的地を設定すると、距離優先で選んだ道は2時間半かかる予定だった。他のルートをみると、高速優先では2時間と少しだったが、ものすごく遠回りをする。近くのインターから乗ると、中央高速、圏央道、東名、横浜横須賀道路、逗葉新道を通る。

または中央道、首都高、東名・・でも同じくらいだった。

結局、距離優先で国道16号を行ったが途中渋滞で、お昼時だったこともあり、空腹のためみんな不機嫌になり、誰がこの道を選んだかで険悪になった。そのためにセブンイレブンで一息入れたので、ますます時間がかかった。

帰りは別のルートを選んだが、結局どちらも2時間半かかったのだが、向こうで食事をしたせいか、帰りはそんなにかかったとは感じなかったようだ。

どの道が早かったのか、行かなかった方はナビの予測はあっても本当のところはわからない。ただ自分が走った道が気に入れば早かったように感じるし、渋滞に少しあっただけで、すごくかかった気になるのだ。渋滞の時間より、セブンイレブンで休んでた時間の方が長かったのだから、帰りの道でも結局は変わらなかったのだと言っても、運転手は納得しない。同じ現実を一緒に共有しているはずなのに、どちらが早かったか、別々の結論のままだ。

ナビに頼ってしまうと、幾つもの選択肢を示されて、結局自分の選んだ道に不満を感じてしまうのだ。別のルートの方が良かったと。

 

 

なんでも鳥の餌?

 

屋上には鉢植えの植物がぐるりと一回り置いてある。木は1メートルくらいの高さがせいぜいで、鉢の大きさもそれほどではないので、それ以上は大きくならない。どの鉢もその他の草が色々生えてきている。スミレやペラペラヨメナなどは咲いていてちょうど土のカバーにもなるのだが、ユキヤナギは繁殖力が強くてこれは10センチ位の丈になったら、もう引っこ抜こうとしても抜けない。

その中の一つにユスラウメの木が植えてあるのだが、いつのまにかそういった草がまったく無くなった。水をあげたら、土が砂のようにざっと沈み込むようになり、たっぷり水をかけてしばらくしたらカブトムシの幼虫のような白いものが何匹か出てきた。

初めてみたが、調べたらカナブンの幼虫らしい。もはやユスラウメもグラグラであった。横に残っていたユキヤナギさえも、簡単に引っこ抜けてしまった。

水攻めの後、浮いてきたのをシャベルで取って、ボールに入れておいたら、鳥が胴体だけを食べて行った模様。顔はスズメバチのような強そうなアゴがあるようなので、鳥も食べずに残したのだろうか。一鉢のなかに何十匹もいると書いてあるので、絶滅したのかどうかは不明。

隣の鉢は異常はないのでその鉢だけで繁殖しているのだろうか。

 

主人が熱帯魚を飼い始めて、水が汚れてきたから魚が弱ってきたと水槽を掃除したら、その後、数匹の魚が死んでしまった。水の汚れ以上に、掃除による環境変化のせいで死んでしまったように思える。

ベランダの手すりに並べて行ったが、夕方になっても鳥は食べに来ない!

 

追記

調べてみるとプランターの中で根っこを食べているのは、同じコガネムシ科でもカナブンではなくて、ドウガネブイブイと言う見た目はよく似た虫らしい。すごい名前だ。